日本語学校 参与観察の備忘録

実態を社会学的にみてみよう。

専任講師か非常勤講師か働き方の選択

日本語学校日本語教師としての働き方は2つある。専任講師と非常勤講師である。専任講師はいわゆる正社員であり、非常勤講師は一コマいくらの計算での雇用形態である。正社員と時間給の雇用形態であれば一般的には正社員の方がいろんな意味で優位であるとされる。しかし、専任講師の力量があると評価される人でも非常勤講師の道を敢えて選んでいる人もいる。それには個人的な事情や働き方の好みの他に、日本語を教えることだけに集中したいか否かという志向もある。学生の生活指導や進路指導はしたくない、教えることだけがしたいという場合、専任講師よりも非常勤講師の方が様々な教科書やクラス構成で経験を積める。一方、専任講師であれば学生と密に関わることができるし、カリキュラムの作成にも携われる。また、学生指導に時間を取られるので僅かな時間で教案を作成し授業プリントなどの準備を確実にするという技が身につく。

そして給与もボーナスを除けば、みっちり非常勤で働く給与と月給で働く専任では殆ど変わりはない。ボーナスがない日本語学校では、社会保険雇用保険の有無くらいしか違いがなくなる。

そのため、専任講師、非常勤講師の良い悪いは決められない。本人の生き方やみにつけたいスキルで専任講師か非常勤講師かの働き方が変わってくるだろう。

 

留学生同士の喧嘩

日本語学校はまるで日本の中学校や高校のような仕組みである。授業が始まる りと終わりは日直が「起立、礼、着席」の挨拶をする。そして授業が終わると日直が教室を掃除する。授業にはミニテストもあれば宿題の提出もある。高校の授業と同じである。中学校や高校でクラスメイトが喧嘩をするように、国籍が異なる学生が毎日一緒に勉強するのだから、喧嘩が起こる。特に男女間の問題、コミュニケーションの取り方や親疎関係の感覚の異なりが大きな歪みをもたらす。そして、それは個人の問題ではなく国同士の対立となる。

ちょっとしたちょっかいがベトナムとネパールの学生の喧嘩となり、授業中に問題が起きた。その場は直ぐに収まり、直ぐの休み時間に通訳を入れて明らかに悪い方の学生を注意するも、全く悪びれもしない。それを見ていた同国の学生も相手が何が悪いのか理解しない。

国の違いではなく、成長すると男女間のコミュニケーションの取り方が変わっていく、男女で考え方が違うという話をメインにする。そして、生活習慣が違うなら、考え方も変わってくる、相手が自分と同じ考えであるなんて勝手に思うなという話をする。

しかし、この事態を聞いた主任は真っ青になる。国同士の喧嘩になって過去に殺し合いにもなるような事態があったからだ。

今後の状況を注視したい。

 

日本語学校の種類について

一口に日本語学校と言っても、教育目的によって様々である。

まず1つは、本当の意味での語学学校がある。英会話スクールと同じと考えて良いだろう。ちょっとした短期留学や日本人と国際結婚して生活に必要になった人が通っている。

そして、日本の大学や専門学校に進学するための勉強をする準備教育課程がある。最近、日本語学校が乱立し留学生が単純労働者としてみなされていると問題視されているのが、この後者である。

留学への準備教育課程としての日本語学校には、様々なレベルがある。そのレベルは日本の大学進学塾と似たところがある。例えば、進学塾には、難関校を目指す所があれば、そこそこの大学に受かれば良いところもある。そしてF校でもいいからねじこんでくるところもある。日本語学校も同じである。旧帝大に入れる所からそこそこの大学や専門学校を探してねじ込んでくれる所がある。

準備教育課程の日本語学校を認定校かどうかによって分けることが一般的であるが、非認定校の日本語学校が乱立する中、非認定校であっても良い大学に入れようとする学校もあるし非漢字圏の学生のレベルや言語習得の現実に合わせて最良の方法を模索した進学指導をしている所もある。そのため、こうした塾のような分け方が、今の日本語学校の乱立状況を整理するには分かりやすいのではないだろうか。

留学生の多様な学習習慣

日本語学校に通う留学生の学習習慣は多様である。まず、鉛筆を一本しか持ってこない。しかも長い鉛筆ではなく短くなった鉛筆である。鉛筆を持ってくる場合は鉛筆削りを必ず持ってくる。消しゴムは持っておらず友達と共有する。

鉛筆を持っていない学生もおり、ボールペンを持ってくる。しかも黒でなく青である。もちろん、シャープペンシルを使う学生もいるが、その場合、シャープペンシルの頭にある小さな消しゴムを消しゴムとして使用している。また、筆箱を持っている学生も少ない。

蛍光ペン、赤ペンなどの色のついたペンは全く使わない。色鉛筆も使わない。問題を解いて間違いがあれば、消しゴムで消して書きなおす。間違えた所を見直すために印をつける習慣がないのだ。

それから、休み時間の間にトイレを済ませておく感覚がない。授業中、何人もの学生がトイレのために席を立つ。授業が終わる2分前でも行こうとする。

テストの場合、カンニングは当たり前。
母語で平気で話しながら回答を教え合う。先生が席を少しでも外すと私語を含めてガヤガヤ騒ぐ。そもそも試験慣れしていないため、問題を読まずに問題を解くし、問題の趣旨を理解しようともしない。そして難しいと言う。さらに、ボールペンを使って回答しようとする。一度そのまま問題を解かせてみたが、回答を間違えた、どうしよう先生と言ってきた。ちなみに、カンニングはしなかったとしても、テストの時にも消しゴムの共有が行われている。

単純労働のアルバイトと社会化

単純労働で働く留学生のことを可哀想だと勝手に思っていた。しかし、その考えが覆された。

日本人の大学生が働くようなアルバイト先で日本語能力が低くても一から育てていきたいという会社があった。日本語能力が低いが真面目な学生が4名採用されたが、そのうち1人が辞めたいと言い出した。話を聞くとシフトを全然入れてくれないという。そのため、採用担当に電話をして聞いてみると本人の努力が足りなくてシフトを増やしたくても今の状況では無理だと言う。学生本人に伝えた所、日本人と一緒に働けていい環境であるが努力したくても限界を感じていると話す。他の3名もシフトを決めて入れてもらえず前日に突然呼び出されるため、予定を立てることができないと話す。また仕事が早くてついていくのが精一杯と話す。

一方、単純労働で働く学生はアルバイトに何の困難も抱えていない。時々聞く日本語を少しずつ覚えながら生活している。単純労働は、日本語を耳慣らし、日本人と少しずつ接するための練習場なのかもしれない。

専門学校からの営業と手土産ラッシュ

留学生向け専門学校の進学説明会のラッシュが続いている。進路指導担当者に連日のように電話や手紙、訪問等による営業が専門学校より入ってくる。電話では進学担当者がいつの進学説明会、どこ主催の説明会に参加するのかまでリサーチされる。ライバル校が参加する日にちに行く予定があると是非うちの学校が参加する日にも来ませんか?と連絡がくる。訪問では様々な県の専門学校が営業にくる。いつも手土産があるようで、授業から戻ると机の上が地方土産で埋め尽くされている。もちろん地元の茶菓子もある。こうしてちやほやされるのも今うちだ。どこも受け入れてくれない学生をねじり込むのために最後の最後で営業をかけるのはこちらなのだから。

そう思いながら有り難く手土産を頂く。

留学生との信頼関係

日本語能力の低い学生は何を考えているのかわからない。特に初期の頃は日本語で話すのを嫌う学生や先生を何となく避ける学生が多いためである。生活が落ち着き、学生側も教師の性格がわかるようになると、無言だった学生も少しずつ話しかけてくるようになる。

少しずつお互いのことが分かるようになると、教師は学生が意外と「いい子」であると知るようになる。そして、この子のらできるはずと信頼や期待も抱いてしまうのだ。

しかし、こうした信頼や期待は簡単に裏切られる。学生が嘘をついたり、日本語での会話で分からなくても適当に「はい」を言うことが原因だ。

留学生との信頼関係を築こうとすること自体に誤りがあるのではないかと個人的に考えることがある。お互いに筋を通しあい、それが結果として相手の信頼に繋がる位のものであろう。